12月7日 インド活動記

8時過ぎ起床。いつも通り支度を整えて朝食へ。
10時に出発し、BLPのオフィスへと向かいました。今朝はコーディネーターの方が忙しく、いらっしゃらないということで、借りていたインドで使う用の携帯電話をBLPの別のスタッフに預け、教室へと向かいました。

前日に夜遅くまでダンスのイベントがあったので、誰も来ないのではないかと心配していたのですが、教室につくといつも通り、たくさんの笑顔で子どもたちが出迎えてくれました。

早めに教室についたので先日行ったのとは違う場所のスラムに子どもたちを呼びに行きました。そこにもやはり政府の手が加わり、強制的に家が壊され、屋根のない場所で寝ている子どもたちが大勢いました。
教室に通っている子どもたちの案内で教室に行くように誘って回る道すがら、あの子がどこの家に住んでいて、お母さんはどの人なのかなどを詳しく教えてもらいました。さすがここに住んでいる子どもたちは完璧に把握しているようでした。
そこのスラムのすぐ近くにはcollegeがあり、そこに通っている学生たちが、大勢の子どもたちを引き連れて歩いている日本人ということで、不思議そうにこちらを見ていました。
とても清潔できれいなものと、そうでないものが、混在している国がインドであるのだと改めて感じました。

教室では子ども達と一緒に、昨晩撮影した子どもたちが出演したイベントを見ました。映像を見ながら、これが誰でこれが誰だと指をさしながら盛り上がりました。

最後にゆりさんが、子どもたちと、僕たちが帰った後も教室に通って、来年の9月に向けて練習を行うようにと約束しました。この約束が果たされることと、政府の介入によるスラムの立ち退きなど外部からの邪魔が入らないことを心から願って、教室を後にしました。

その後はホテルに帰り、日本へ向かう荷造りを済ませ、帰国に向けて出発しました。


この事業がこれからも続く(succeed to)ためには、その前提として成功(succeed)させなくてはならないということを強く実感した一週間でした。成功とはつまりこの事業の集大成として行う来年の9月初めの発表会で、子どもたちを初め教室の運営に関わった全ての人が自分たちの伝えたいことをお客さんに伝えることが出来るということ。続くとは、そこでメッセージを受け取ったお客さんの中に、この教室の運営に少しでも協力していただける人が現れるということです。succeedなくしてsucceed toはあり得ないのだということを肝に銘じて、日本に帰っても活動していきたいと思います。

駄文に最後まで付き合って下さった方がいれば、本当にありがとうございました。

当事業に興味のある方がいらっしゃれば、ぜひとも「光の音符」までご連絡ください。どなたの協力もとっても嬉しく思います。

それでは空港に向かいます。

明日からはけたたましいクラクションの嵐や、命がけの道路横断、冷たいシャワーなどから解放されるという喜びをかみしめながら、どこかで、見えないところに隠されていない、むき出しの、混沌とした世界を懐かしく思いながら、日本で生活していくのだと思います。

それではピルミレンゲ!(また会いましょう!)
  1. 2012/12/07(金) 18:39:16|
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12月6日 インド活動記


8時起床。昨日のミーティング兼ディナーで死ぬほど食べたので今朝はほとんど朝ご飯が入りませんでした。

本日はいつもより遅めの10時30分近くに出発しBLPのオフィスには寄らずに直接教室へ行きました。前日から宿を共にしているJICAスタッフとわかぎゑふさんもご一緒してもらいました。

教室につくと子どもたちが、今日の夜に開催される発表会にむけて前日までに引き続いてダンスの練習を行っていました。
11時過ぎくらいに、毎週木曜日に来てもらっているインド人の音楽の先生による歌の練習が始まりました。
ダンスの練習をしている子ども達以外が、室内に入って歌の練習を行いました。
音楽に関して、僕はド素人なので子どもたちがどれくらいのレベルなのか正確なことは言えませんが、先生がキーボードから一音ずつ出して、それを子どもたちが真似し、音がだんだんと高音になっていくという日本でもお馴染みの練習中、子どもたちはほとんど先生の出した音程に声を合わせることができていませんでした。何か音を聞いて、その音を真似して発声するという経験がとっても少ないからだと思います。
きちんとした音程で歌を歌えるようになること自体には、彼らのこれからの人生であまり意味のないことかもしれませんが、注意して相手の発する音を聞いて、それを真似することができるようになるということは、専門家でないので具体的には言えませんが、「何か役に立つ」ような気がします。それが相手の気持ちを推し量る力につながるのか、自分に今までなかった表現の方法を獲得することにつながるのかは分かりませんが。僕は、「何か役に立つかもしれない」を積み重ねることが、物資やお金を与えるのではなく、音楽やダンスを教えるということの神髄だと思いますし、利益を上げることを考えなくてはいけない合理的な仕組みの中では出来ない支援の形であると思っています。この事業にしか出来ないことがあるなぁと改めて感じました。

歌の練習の後は、昼食前に教室を後にし、いつも行っている場所とは違う所にあるBLPのサテライトオフィスにお邪魔しました。そこでBLPの所長さんに会い、改めてこの事業の意味や継続の必要性を説明しました。待ち合わせ時間通りに所長さんがいらっしゃらなかったため、飛行機の時間の都合が悪くなった、JICAスタッフ2名とゑふさんとはそのサテライトオフィスで分かれました。前日、子ども達へ「電話しているフリ」を仕掛け、見事に子どもたちをそこに巻き込んでいったことに対してゆりさんが「私が長い時間をかけて少しずつさせてきたようなことを、たった一日でさせてしまったことが本当に素晴らしかったです。ありがとうございました」と言っていたのがとても印象的でした。

所長と話をした後は、2日の日にお会いしたのとは違う、インドで会社を経営されている日本人会の方に会っていただきました。そこでは前回と同様に、来年の9月に開催する、この事業の集大成としての発表会のために、ぜひとも宣伝に協力していただけないかとお願いしました。前回会ってくださった方同様に快く引き受けて下さり、当日は日本人のお客さんもいっぱい来てもらえそうです。
余談ですが今回はちゃんと反省を踏まえて、カーディガンを羽織ってチェックのパンツを履いて行きました。

その後はいよいよ子どもたちの発表会があるということで、その会場に向かいました。
その発表会というのは、カトリックのチャリティコンサートみたいなもので、「光の教室」で子どもたちにダンスを教えている先生が所属しているダンススクールが出場するということで、それなら「光の教室」の子ども達も一緒にステージに立たないかという流れで参加することになったようです。子どもたちの出演した第一部しかいませんでしたが、全体を通してとても面白かったです。各プログラムの合間には修道女達による寸劇があったり、座席の番号を適当に選んで、選ばれた席に座っていた人に景品をあげるゲーム大会があったりしました。
子ども達の出番が来ると、まるでわが子の晴れ舞台を見に来た親のように、ビデオを片手に身を乗り出して子どもたちのダンスを見守りました。
人前で何かを披露するということに慣れてないせいかとても緊張している様子で、途中でフリを間違えたりしていましたが、それでも最後まで堂々としたダンスを披露してくれました。そんな子どもたちのダンスを見ながらなんとなく、この事業にはこの先何年間も続いて行ってほしいなぁと思いました。
休憩に入ってすぐに、そそくさと会場を離れました。

本日もまたとても濃い一日でした。
いよいよ明日の夜には飛行機で日本に向かって出発します。最後まで気を抜かずに、明日の活動もがんばっていきたいと思います。
それではまた明日。
  1. 2012/12/07(金) 12:31:44|
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12月5日 インド活動記

8時過ぎに起床。いつも通り準備を終えてホテルのレストランへ向かいました。今日は昨日合流したJICAスタッフ二名と日本で演出など様々な仕事をされている女性の方と一緒に朝食をとりました。

10時に出発し、朝の日課となっている「光の音符」がインドで活動するのにお世話になっている現地のNGOである「BLP」のオフィスに行きました。
本日はそこで、
・新しく来た3名の紹介
・書類の受け渡し
・スラムを案内してもらうお願い
を行いました。僕はその横で、光の教室の様子を撮影したデータを送れるようにするためにオフィスのパソコンをいじってました。

その後3人で「光の教室」へと向かいました。到着してすぐは、教室に通っている子どもたちを呼びに、近くのスラムを回りました。
子どもたちの住んでいるスラムにはゆりさんが10年近く通っているということもあり、そこに住んでいる人たちは大人から子どもまでとても好意的です。しかしながらインド政府がスラムの縮小という方針のもとに最近行ったスラム撤去により、今まで見たこともないような人たちがガラッと増えたそうです。ずっと教室に通っていた子ども達の中にも突然立ち退かされて、消息が分からなくなった子達もいます。実際のところ、スラムの縮小とは名ばかりで、いくらそこに住んでいた住人を追い出しても、いくらそこにあった家を取り壊しても、また新しい人が住み始めたり、新しい家が建ったりするだけで、スラムに住んでいる住人達を混乱させることにしかなりません。「光の教室」というプロジェクトとしても、今までずっと通ってきた子どもたちを失ってしまい、とても困りました。

昨日合流した3人と僕とゆりさんとで一回りし、子どもたちに顔を見せた後は教室に向かいました。そこではBLPの計らいで、新しく来た3人のために、教室のすぐそばに建てられているLeprosy Museumを見学しました。Leprosyは日本で、ハンセン病と呼ばれている病気のことで、光の教室がそもそもハンセン病の患者の子ども達のための識字教育を行うために作られたという経緯があり、すぐ近くにLeprosyについて知ってもらうためにそのようなMuseumが建てられています。Leprosyについては詳しく説明はしませんが参考までに書いておきます。日本では患者は離島に隔離されたりして激しい差別された病気ですが、インドの場合はそこにカーストが乗っかって、Leprosyの患者で不可触民の人たちは2重に差別されていました。そんな患者さん達の治療を行い、識字教育まで行っていたのが我々「光の音符」が現地でお世話になっている「BLP」なのです。Leprosyについて詳しいことはぜひ調べてみてください。

Museumの見学を終えて、教室に入りました。ダンスの練習が終わった子どもたちを集めて、演劇指導のプロである、わかぎゑふさんに、子ども達に簡単なゲームを仕掛けてもらいました。最初は持ってきた果物を一つずつ取り出しては、その果物が好きな人は拍手。嫌いな人は顔をしかめ、首を左右に振るというゲームでした。次に取り出したのは、前々から子どもたちのお土産にと買っておいたおもちゃの携帯電話で、子ども達一人一人に渡して、実際にその電話がつながっているフリをするというゲームをしました。おそらく子どもたちにとっては生まれて初めての「演技」であったのだと思います。
まずはゑふさんの顔真似から。携帯片手に驚いたり悲しんだり喜んだり泣いたり。みんなそれなりにうまいこと出来ていました。次は誰か好きな人に電話をかけるフリをしました。ゆりさんに電話をかけた子どもや先生たちにかけた子どもなど様々でした。最後にはお母さんに電話をかけさせ、子どもたちは楽しみながらも、自然と人生最初の「演技」を行っているようでした。来年の8月の発表会に向けて、すこしでも子どもたちが演技に対して敷居を下げてもらえればと思います。それにしても、さすが、プロはちゃうなと感動しました。

教室での演劇指導を終えてからは、先生方と一緒にご飯を食べ、改めて先生方の役割について確認しました。誰が歌の担当で、誰が作詞の担当で、誰が音楽の担当なのか。作ってきた役割表をもとに確認しました。私がリコーダー担当なの!?と目を丸くし、言葉を失った先生がとても印象的でした。

その後は教室を出発し、朝教室に来る前にBLPに寄って頼んでおいたスラム見学に行きました。教室に通っている子どもたちが住んでいるのはワダラという地域のスラムなのですが、今回案内してもらったのはダラヴィという地域のスラムで、このスラムはアジア一大きいと言われています。僕も二回目のインドであり、普段は子どもたちの住んでいるワダラのスラムしか見ないので、とても貴重な経験をさせてもらいました。

スラムの見学を終えてからはホテルに戻り、しばらく休憩しました。

夕食時にはBLPの所長やいつもお世話になっているコーディネーター、教室で子どもたちにダンスを教えている先生、音楽を教えている先生を呼んで、ミーティングを開きました。今後どのような計画で発表会まで進めていくつもりか、具体的に方針を定めることができました。

まだまだ書き足りない感がありますが今日はこの辺でやめておきます。
それではまた明日。
  1. 2012/12/06(木) 02:43:38|
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12月4日 インド活動記

今日の起床は8時過ぎ。
いつも通り朝の準備を終えて、ゆりさんと一緒にホテルのレストランで朝食をとりました。

10時にホテルを出発し、昨日と同じように、まずは「光の音符」の面倒を見てくれている現地のNGOである「BLP」に挨拶に行きました。
昨日も会って話をした現地のコーディネーター役を引き受けてくださっている男性と会い、改めてこの事業を続けていくためにインドスタッフの協力が必要であるということを説明しました。(僕は横でゆりさんとコーディネーターとのやり取りを見ていただけですが。)

スラムのこども達に音楽やダンスを教える。しかも最終的にはそのような指導が現地スタッフの手によって行われるようになり、我々の手を離れても現地でずっと「光の教室」があり続けるようにしたい。そのためには昨日の記事にも書いた、教室で子ども達の面倒をみる仕事をしてもらっている三人の女性先生達に自分たちの役割をきちんとこなさせるということが大事になってきます。
現地のコーディネーターの方には、若干サボりがちな三人の先生方に、もう一度注意をしてもらうようにお願いしました。

そしてそのまま教室に行き、実際に先生方とコーディネーターとの話し合いの場を持たせることができました。

注意して無理やりやらせるというやり方はあまり好きではありません。それでも最初は、やらせる形になることも仕方がないと割り切って、仕事をこなしてもらい、先生方の中に段々と仕事に対するやりがいや誇りが生まれて、自発的に関わってもらえるようになれば最高だと思います。そして実際そのような仕事に対する意識の変化も段々と感じられるようになってきております。あと少しです。

教室での活動として具体的には昨日の続きとして、子どもたちに質問して答えをもらう、言葉集めを今度は先生方中心で行いました。実際に先生方が口に出したわけではありませんが、そばから見て、先生方はこの作業を楽しんでやってくれているように感じました。子ども達への興味の強まりを感じました。また、子どもたちも、「質問に答えたい」「自分の話を聞いてほしい」と、我先にと発言しているように感じました。
いろんな意味で、この言葉集めという作業はやって良かったと思いました。

教室を終えた後は、これまた「光の教室」の運営を支えてくださっているシスターの所属している協会にお邪魔しました。男子禁制と聞いていたので、入って良いものかとドキドキしましたが、シスターについて回っていたこともあって、お咎めなしでホッとしました。昼食を、シスターたちに囲まれて食べましたが、会話の中で「あなたの宗教は何?」「あなたは何を信じているの?」と聞かれ、改めて価値観の違い、生き方の違いを感じました。

昼食の後は買い物を済ませ、宿泊先のホテルに帰りました。
ホテルでは
・集めた言葉のまとめ作業
・明日以降に使う書類の作成
などに没頭しました。

夕食時には当プログラムを支えてくださっているJICAの職員の方2名と、日本の女性で、劇団の座長、演出家、作家など様々な肩書を持っておられる、わかぎゑふさんの計3名を交えて楽しく夕食をとりました。明日と明後日はお三方と一緒に「光の教室」に一緒に行けるということで、とても楽しみです。
当事業の集大成として8月の末から9月の頭ごろに予定している発表会で予定している、子どもたちが出演する劇に対して、わかぎゑふさんを通して、先生方へも子ども達へも何らかの刺激が与えられればいいなと思っています。

そんなこんなで本日も無事に終わりました。
シャワーに関しては水が出るだけありがたいという気持ちでいてるようにします。

また明日からも元気にがんばれますように。
  1. 2012/12/05(水) 03:59:39|
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12月3日 インド活動記

今日は8時前に起床し、ゆりさんと二人で朝食を食べました。

10時ごろ出発し、「光の音符」がインドで活動するためにいろいろとお世話になっている現地のNGOであるBLPにお邪魔しました。2か月ぶりの訪問ということで、スタッフの方々に歓迎されました。
そこでコーディネーターをしてもらっているインド人男性の方と話をして、
・現地で「光の教室」の運営に携わっている人たちの給料を渡すこと
・後日夕食を一緒に食べる約束
などを行いました。

その後、待ちに待った「光の教室」に行きました。しばらくぶりの子どもたちとの再開を懐かしみ、一緒に遊びました。紙飛行機をいたく気に入った様子で何度も、折ってくれ!と紙を渡されました。また、子ども達から「スーリヤやアツキは来ないのか?(どちらも光の音符スタッフ)」「今回は二人だけなのか?」など聞かれました。我々の訪問を待ち遠しく思ってくれていて、2月のスタディツアーで学生がいっぱい来れば、またとても喜ぶだろうなと思いました。

さらに本日は「光の教室」で子どもたちに音楽やダンスを教えてもらっている現地スタッフの方々と一緒に、前日準備した、作詞するための言葉を集める質問を子どもたちにしました。ゆりさんが必死に、聞いて練習したマラーティー語の質問を子どもたちに、運営に携わっている3人の現地スタッフの女性達の前で投げかけ、スタッフの方々が発音の修正を行うという形で質問コーナーは進んでいきました。
一人の子どもに聞き終わると、現地スタッフにやってみてくれ。とお願いし、スタッフの方々自身が子どもたちに質問し、言葉を引き出すという形をとりました。「何のフルーツが好き?」「誰が一番好き?」「一日の中でどの時間が一番好き?」など他愛もない質問ばかりですが、それがとっても重要なのです。
この事業の集大成として、来年の8月の下旬か9月の上旬に行う発表会で披露する歌を作るために子どもたちに質問することが大事であるということ。それはももちろんですが、それ以上に、子どもたちが日々の生活を顧みるきっかけを作るという意味でもこの作業は大事なものであると思っています。

彼らは毎日を必死に生きています。一瞬一瞬を生き延びることが彼らにとっては全てであります。そこに少しでも自分の気持ちと向き合う時間を作るということ、自分が何が好きで、何を大切に思っているのかを自覚するということは、スラムに生まれた大勢いる子ども達の中から、一人の人間として自律して生きていく上ではとても大切なことのように思います。しかしながらそれは自分の立場を自覚させるという点で、残酷な面も持っています。私たちはそれがホントに子どもたちのためになっているといえるのかと自分に疑問を投げかけながらもこの事業を進めていくつもりです。

その後ホテルに帰ってきてからはお昼寝し、16時あたりからインドの大学でソーシャルワークについて勉強されている日本人女性の方にお話を伺いました。9月に行った前回のスタディツアーでインドに来ていた我々をたまたま見かけ、それから仲良くさせていただいている方です。いろいろなお話を聞き、考えさせられました。もしよければこれからも、どんな形であれ協力していただければ心強いなと思いました。

明日も教室で子どもたちから言葉を集めたいと思います。今度は現地スタッフ中心で進めてもらうつもりです。どこまで出来るか、どんな言葉が飛び出すか、どんな詩が出来上がるのか。今からとても楽しみです。

今日はホテルのシャワーからお湯が出るのか。あまり期待せずに行ってきます。
それでは明日もそれぞれの場所でがんばっていきましょう。
  1. 2012/12/03(月) 23:25:41|
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