スタディツアーに参加して 大阪大学2回生 山口 直樹

「自分の魂がワクワクする方へ行けば良いと思うよ」
自分が悩んだり、考え込んだりするときに思い出す恩師の言葉があります。この言葉の通り、このインドへのスタディツアーのパンフレットを見たときに、「ここに行こう!」そう思いました。気付いた時には、それまでに入っていた予定をすべてキャンセルし、インドへ行くため、ひたすらバイトに明け暮れていました。
 もともと途上国支援や貧困問題などに関心があり、今の学科(国際公共政策学科)に入ったのですが、自分自身“途上国”と呼ばれる国に実際に行ったことはこれまでなく、本やテレビなどを通して、2次的な情報をもとに“途上国”というイメージを自分の中で勝手に作っていました。しかし、インドで出会った人や目で見たもの、肌で感じたものは、それまでの自分自身が描いていたイメージとは異なったものでした。

 「ぴるみれんげ~(またね!)」異国の地で初めて出会った教室の子供たちはもちろん、服屋の兄ちゃん、トゥクトゥクのおっちゃん、スーパーのおじさん、朝から一緒にサッカーをしてくれたおっちゃん達、、、まるで昔からの友人のように、別れ際にはこの言葉が飛び交っていました。良く言えばとてもフレンドリーで、時には慣れなれしすぎるんじゃないか?と思うほど、インド人の人たちは人懐っこく、良い意味で人間臭い国だな。これが、私がインドから帰ってきた今、まず最初に思い浮かぶインドの印象です。

 「インドに行けば価値観が変わる」私自身よく耳にする言葉です。では、私自身の価値観がこのスタディツアーを通して変わったのか?そう考えてみると、はっきりと変わったかどうかはわかりません。そもそも自分自身の価値観がどのようなものなのかもわかっていないのかもしれません。ですが、実際に、最初にムンバイに到着した日にバスの中から見える景色。。小さい子供が道路脇で眠っていて、自分の妹よりも小さな子供が物乞いをしている。言葉では表せない気持ちを感じました。物乞いをされた時の気持ち、物をあげた時の気持ち、断った時の気持ち。どんなに素晴らしい教授が講義をしたとしても、どれだけ文才のある作者が描いた文章を読んだとしても、決して知ることはできない気持ちを、実際に感じることができました。

 先に、インドに抱いていた自分自身のイメージと、目でみたもの、肌で感じたものは異なっていたと述べましたが、それは、僕が勝手に抱いていたイメージ“貧しい人たちは、不幸で、つらい表情をしているんだろう”といったものでした。ですが、スラムで暮らす子供たちや、たまたま出会った数多くの人たちの笑顔は、どれも素敵で、その屈託のない笑顔に多くを考えさせられました。

「幸せってなんだろう?」

日本の方がモノは確実に満たされているし、あらゆる面で快適なはず、なのに、日本人はどこか冷めているし、生きることに辛そうな人が多いじゃないか!今自分自身が考えている“幸せ”は、必ずしも他の人たちの幸せとは限らないんだ。普通に考えれば、ごくごく当たり前なこと「60億人いれば60億通りの幸せの形がある」ということを改めて気づかせてもらえました。ただ、国際協力だ、ボランティアだ、と言っても、それは決して押し付けになってはいけず、相手の文化、環境、様々なことを知り、理解しようと努めること、まずはそこから始めなければならないということを強く感じました。

 また、インドの人たちの素晴らしい笑顔、子供たちの素晴らしい笑顔に心癒されると同時に、インドに行く前の自分が考えていたことで、インドに行って改めて同じような思いを抱いたこともありました。それは、まだまだ彼ら自身で自分たちの現状を変えることは難しく、彼らの現状を変えることができるのは、もしくは、その手助けをできるのは、恵まれた環境にいる私たちに他ならないということです。私自身が、今の学科を目指そうと思ったきっかけの一つに「世界がもし100人の村だったら」という本があります。私は今、大学の教育を受けることができる100人のなかのたった1人であり、銀行に預金があり、家に小銭の入った財布がある世界の上位7%の人のうちの1人です。このことは、日本に暮らしている多くの人たちにとっては、今や当たり前のこととなっています。そして、当たり前であるがゆえに、時に私たちは、当たり前のことが当たり前にできる幸せを忘れがちになってしまっています。ですが、今回このインドでのスタディツアーに参加したことで、この本で読んだことがとてもリアルに感じられ、改めて、自分がいかに恵まれていて、どれだけ幸せな生活を送ることができているのか、この恵まれた環境にいる私たちには、弱い立場にある人たちのために行動する責任がある、ということを強く感じることができました。

 最後に、このスタディツアーに参加して、私はとうていこの数枚の感想文にはおさまりきらない、言葉にできない経験をたくさんさせていただきました。「百聞は一見にしかず、百見は一触にしかず」“生”のインドという国に触れ、このインドという異国の地で懸命にインドの人達と向き合っているスタッフのみなさんと出会い、偶然出会ったツアー参加者のみんなと、時にはふざけあい、時には真剣な話を語り合ったこの11日間は、私にとってかけがえのない財産になりました。
「本当にこの活動は現地の人たちのためになっているのだろうか?」
国際協力やボランティアに従事している人が、常に考え続けていることだと思います。特にこの光の教室での活動は、途上国のインフラを整備するといったような、はっきりと目に見えるものとして成果に現れづらい、難しい活動だと思います。と同時に、本当に本質的な、“人として”大切なコトに真摯に向き合っている魅力的な活動だと感じました。そして、日本に帰った今、強く感じていることがあります。それは、スタディツアーの最終日が、この出会いの別れではなく、新たな始まりであったということです。
スタッフのみなさん、スタディツアーに関わったすべての人に。

「ありがとう、これからもよろしく^^僕も一緒に向き合います^^」

  1. 2012/11/07(水) 00:21:59|
  2. 2012年9月ツアー感想文
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スタディーツアーを終えて 大阪大学1回生 板倉 美聡

まさに「今」発展している国なのだ。というのが、11日間の旅を
振り返る私にとってのインドを、最も端的に表した言葉である。
 
初めてムンバイについた日の夜のことは忘れられない。10時間ものフライトを終えて疲れきったバスの中、窓から飛びこんでくる見たことの無い世界に夢中になった。互いに押し合いへし合うように並んだ店の数々、そこら中で寝ている人々、やせほそった野犬たち・・・。
ムンバイという都市は、そこに生きる人々の鼓動が聞こえてきそうである。
4人家族で600人もの召使を抱える一家と、アジア最大のスラム街で生活する何万もの人々が、そして物乞いを仕事として強く生きる子ども達と、清楚な制服を着て学校に通う子ども達が共に生きている。町にはごみが溢れ、野犬が闊歩し、信号もほとんどなく、おびただしい数の人々と車が混在している。しかし格差も貧困もごみも野犬も、すべて人間の生活が営まれれば、それに付随して発生するものであって、それゆえに人間の営みの一部とすら言えるのではないだろうか。

ムンバイという町は、そういったもののすべてを受け容れて成り立っているからこそ、混沌に満ちた、生きている町なのだと私は感じた。デリーやアグラの無機質な町並みは、それとまさに対照的だった。観光都市として、国際社会に向けて取り繕ったかのようなその景色は、私の知っている世界と重なる物があった。整備された道路や空港、豪華なホテル…。しかし、ところどころ工事中らしい殺風景が広がっていたりと、その都市はまさに「先進国の首都」として形作られている途中なのだと感じられた。美しい芝生の公園を見るたびに、昔この場所にはどんな景色があったのだろうか、どんな人々の生活があったのだろうかと、見たことの無い過去に思いをはせずにはいられなかった。
 
インドで感じたことはそれだけではない。最後の夕食でも口にしたように、この11日間の旅で、私はもっと人間のことが好きになった。教室の子ども達が、「ディディ!ディディ!」と、無邪気に私を呼ぶ声や、別れ際に「ピルミレンゲ!」と、小さな体で力いっぱい叫んでくれた
言葉が今でも耳から離れない。
気づけば行きつけのお店となっていた、町のお菓子屋さんのおじいちゃんは、ほとんど言葉は交わさなくても、私が幸せいっぱいでお菓子を頬張るのをいつも嬉しそうにみつめていた。
早朝のムンバイのグランドで出会ったフットサルチームのコーチは、「もっとパスを回すんだ!」
と偉そうに指示しながら、自分はゴール前でひたすらシュートを狙うだけの困ったおじさんだったが、ホテルに帰ろうとする私達をいつも「あと5分だけ!」と全力で引き止め、最後の日には
「今週末飲もうぜ!」と無理やり誘ってくる、強引で温かい人だった。
最終日に出会った物乞いの子ども達の「おなかすいたよぅ・・・」という迫真の演技、思わず差し出した私の100ルピー札を握り締めて狂喜乱舞するその姿に、たくましい「生きる力」を感じた。他にも、二階の踊り場でおしゃべりに興じるホテルプラザの従業員や、手を合わせて
「ナマステ!」と言いさえすれば、笑顔で応じてくれる道行く人々、そしてもちろん、大好きなツアーの仲間達・・・。この旅で、貧困や幸せの意味を考えさせられ、自分の将来の夢に疑問を持ったりする瞬間も数多くあったが、それでも、やはり自分は人のために働きたいと、そう強く感じた。この先私は社会に出て、人間の汚いところをたくさん見るかもしれない。しかし、それでも、この「人間が好き」だという感情が根幹にあれば、私は将来、自分のしたい仕事を強くやり抜いていける気がする。
 
「今」この時も、インドは発展していっている。デリーやアグラは町中が綺麗に取り繕われ、ムンバイのスラム街は15年以内に住宅街へと変貌する予定である。それはある意味、「日本化」に等しい。この旅で、日本が美しいのはムンバイが受け容れてきた汚い部分をすべて排除してきたからではないかと感じた。公私の境界がはっきり引かれ、秩序で貫かれるのと同時に、人と人の繋がりも分断されてしまっている日本。公共物である橋に洗濯物が干され、道路で体を洗う人々が見られるほど、公私の境界があいまいで人々が同じ混沌のなかに生きているインド。いつかまた、この国を訪れた時、発展の過程で日本が失ってきたものがこの場所にあり続けることを願ってやまない。

  1. 2012/11/06(火) 10:01:48|
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If I find it, I will practis it. 悟ったことは、実践する! 関西学院大学1回生 齋藤 未歩

日本に帰りたくないと喚いていたぐらい、このインドでの11日間は本当に素敵な日々でした。途上国で生きる人々を見てみたい・・・ある意味こんな思いは、そこで生きる人達にとって失礼なことかもしれません。でも正直、そんな思いがあって、自分の目で見て感じて触れてみたくて、スラムに暮らす子ども達に会いに行く、このスタディーツアーに参加しました。

「インドに行く」と友人や家族に話すと、たいてい、安全性や衛生的な問題に関する返答しかなく、否定的な印象が強いように思われます。しかしこの11日間で私はインドが好きになり、もっともっと知りたい、また行きたい、それくらい実りのある旅でした。

光の教室の子ども達と接している中で、ある女の子をおんぶしながらスラムを回っていたとき、ある女の子が、私がおんぶしていた女の子に向かって、怒った顔をして何か言っていました。
何を言っているのかも分からず、ジェスチャーで察することしかできませんでしたが、きっと、「お姉ちゃんの背中から降りなさいよ。あっちいって、こっちに来ないで。」といった内容だと思います。同じスラムの世界の中でも差別はあるんだなあ、と子どもたちの無邪気な屈託のない笑顔を見ているからこそ、複雑な思いをした出来事でした。

一方、あまり子ども達と馴染めなかった私に、ある男の子が「あそこが僕の家だよ!こっちがお父さんで、これが僕のお母さん!あそこにいるのがお姉ちゃんでお医者さん目指してるんだ」と、気さくに案内して、迎え入れてくれて本当に嬉しかったです。
インド政府によるスラム撤廃のための立ち退きがされていることを知ったとき、悲しくなりました。「スラム」と言うけれど、あそこは何も変わらない、彼らのホームであり、コミュニティであり、毎日の営みがある場所です。スラム=貧しい=悪い、そんなイメージが自分の中にあり、貧困はいけないことだからどうにかしなくちゃ。そんな考え方しかもっていませんでした。
確かにその考えもありだと思いますが、1番大切なのは彼らの大切なものを守ること、残すことだと思います。よりよい暮らし、幸せのために、全て排除し、奪い、新しいものを強要するのはおかしいし、何の解決にもならないし、悪循環なままだと思います。
 
私達との追いかけっこや、ぼうしの奪い合い、歌やダンスといった芸術教育など、体を通して体感した喜びや楽しさは忘れられないものだと思います。久しぶりにダンスができたことの嬉しさが、彼らの夢中になって踊る熱心な取り組みから感じられました。そういったプラスの感情をもっともっと子どもたちに持ってほしいです。何か、夢中になれるもの、得意なものがあると、それはその人自身を豊かに大きくしてくれると思います。そして他人とその喜びを分かち合える、いずれは人の痛みや悲しみをも分かち合えるひとになってほしいです。

BLPでのお話は貴重なものでした。高校時代にハンセン病をもとに人権について考える研修会に参加したことがありますが、今もなお実際に診療にあたるBLPのスタッフさんからハンセン病の詳しい説明をうけました。その中でも、患者だけではなく、その家族やコミュニティに対して行っている、ハンセン病の正しい理解を促す教育は、文化的な差別をうけ隔離された日本の反省を活かしている活動だと思いました。

JICAのインド事務所にも訪問させていただきましたが、事務所に訪問だなんてなかなかない機会だったのでとても楽しみにしていました。JICAの詳しい概要を説明してくださり、この、光の音符のプロジェクトの進行状況、成果、課題など、光の音符のスタッフさんとJICA職員の方々のやり取りを聴いている中で、国際協力の分野に興味のある私は、プロジェクトを回す側であるJICAと、実際の活動の担い手である光の音符のスタッフさんの双方の立場からお話がきけてよかったです。

みんなでサリーを着てタージマハルを観光した後、宮崎松記先生のお墓に行きました。
宮崎先生は、日本で「ハンセン病患者を隔離する」という法律の作成に賛同した1人で、後に、とても強い非難をうけました。その後、宮崎先生はインドでハンセン病患者と向き合い、病院を建て、献身的な診療にあたったという話を聞きました。この話を聞いて、何があっても、周りにどう言われようと思われようと、自分の正しいと思ったことを、最後まで貫き通す、やり抜く、そういったブレない心を持ちたいと思いました。

ムンバイとデリー、それぞれに良さがあり、私はどちらも好きです。インドに滞在中、日が経つにつれて、つくづく面白いところだなあと思いました。面白いと思うのも、この場所が、この場所で生きる人々が、文化、宗教、生活といったあらゆる面で多様だからだと思います。多様だからこそ、知れば知るほど分からない部分もあるのではないかなと思います。
そんなインドで吸収したものは今後の自分の糧となると思います。

If I find it, I will practice it. 
インドで出会った子ども達、目の当たりにした現実、その中で生きる彼らの生き様。
そこから考えたこと感じたことを含め、私がこの旅で得た多くのものを少しでも多く、フィードバックしていこうと思います。

  1. 2012/11/06(火) 10:01:05|
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初めてのインドで 神戸大学1回生 後藤 聡美

このスタディツアーは私にとって初めての海外だった。数ヶ月前は自分がインドに、それも、スラムに行くなんて想像もしていなかった。初めて足を踏み入れる異国の地では、見るもの聞くもの全てが真新しく興味深いものばかりだった。

教室に向かうバスの中から外を眺めると、物乞いをする若いお母さんや裸で泣き叫ぶ赤ちゃん、屋外で体を洗う人・・・。テレビや本で見たことはあったが、実際目にすると、やはり大きな衝撃を受けた。ところが教室に着いた瞬間、笑顔の子ども達が迎えてくれた。スラムでの厳しい生活環境を全く感じさせないほど元気だった。教室では、皆で歌を歌ったりダンスをしたり、とても楽しい時間を過ごした。また生徒の家を訪問した際、家の中を見学させてもらったり、朝ごはんを分けていただいたりもした。
日本にいた時は、メディアから得た知識だけで、スラムに住む子ども達のことを「可哀想」だと思っていた。「不幸なんだ」と思っていた。しかし実際はどうかわからないけど、少なくとも私の目には彼らは幸せそうに見えた。先入観だけで彼らを「不幸」「可哀想」と決めつけていた自分が恥ずかしくなった。

ツアー中に行われた数回のミーティングでは、自分がいかに無知であったかを思い知り、それと同時にもっとインドのことを勉強したい、と感じた。
このツアーを通して、私は、インドという国とそこに住む人々が大好きになった。しかし、インドの暗い部分や目を背けたくなる部分も見受けられ、矛盾を感じることも多々あった。

―幸せとは何か―
光の音符のスタッフの方が講演会でしきりに口にしていた言葉。この言葉を聞いてツアー参加を決めた。帰国から数日経った今も、この問いの答えは見つかっていないが、これから長い時間をかけて考えていきたいと思う。
この『スラムに暮らす子ども達に出会う旅』ではとても充実した11日間を過ごした。非常に貴重な体験をさせていただいたし、大切な仲間にも出会えた。参加して良かったと心から思う。

  1. 2012/11/06(火) 09:59:03|
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“私らしい作曲家”として生きること 愛知県立芸術大学3回生 金森 詩乃

私がツアーに加するきっかけとなったのは、光の音符の活動に作曲家として携わる、久留(智之)先生の研究室でパンフレットを見たことである。学内での久留門下演奏会において、ゆりさんによる活動紹介と、門下生による一作目の歌の発表があったときに関心を持った。

 小学生の頃、黒柳徹子著の『トットちゃんとトットちゃんたち』という本を読み、途上国における子どもの教育について何かしたいと考えながらも、その教育を音楽でやりたいと思った以外
何も具体化しなかった。自分の考えている事のあまりの無謀さに、実現させるための方法すら
分らず、「理想」だとして逃げてきたのが事実である。
しかし、必修授業である作曲理論を久留先生が担当され、アジアの作曲家として、現代社会の中でどのように生きるかをテーマに、音楽の創作についての根本的な問いかけや考察をトランスカルチュラル的立場から行う、という内容を通して、ただ曲を書いても生きていけないことを、重々承知の上この大学に入学したものの、この2年で私は作曲の勉強しかしてこなかったことに気付いた。来年は教育実習もあることを考えると、今しかなかった。
今、逃げてきた自分を変えなかったら後で後悔する、諦めるなら最善を尽くしてからにしようと決めて、私はインドの地を踏んだ。

初日の晩、ゆりさんは「ガンジーとマザーテレサの共通点は一人で変化を起こしたこと。インド人にはそういう生きる力がある。」とお話しして下さった。その時はただ、ふーんとしか思わなかったが、子どもたちの屈託のない笑顔やスラムに生きる人たちと出会い、その言葉の示すものの大きさを肌で感じた。
音楽の先生が教室にきた日に、キーボードを使って少しだけ授業のお手伝いをしたのだが、
この立場に立ってみると教育の現状というものをひしひしと感じることが出来た。先生はコードもメロディーも全部手さぐりで私に教えてくれた。あとは、子どもに囲まれる先生の口を追いかけて、声を拾い出して、必死についていく。私からしてみれば理論的にも技術的にも難しいことはないのだが、とにかく手探りでも子どもに音楽を通して教育を楽しんでいる先生の姿勢は、音楽家としての私自身と向き合う大きな機会となった。

ムンバイ最終日でのパーティーで、私は初めて将来自分のやりたいことを人に話した。
“現代音楽と国際協力の交差点にある何か”。まだまだ抽象的で具体化されたわけではないが、真剣に聴いてくれる仲間がいる今は、前とは絶対違うと感じる。

西洋音楽を押し付けることはしたくない、とずっと思っていた。そもそも彼らの中で、音楽は生活そのものであり、根本的な部分で鑑賞用の音楽と次元を異にするからである。
それをするエネルギーがあるならば、私は彼らがその土地固有の音楽に触れ合う時間に割きたいと思う。でも、教室で教えていた先生のように音楽をツールとして彼らが豊かになるのであれば、どのような音楽でもいいと、今は思う。

新大陸でジャズという新ジャンルが生まれた時に起こった、方向性を斉しくする別物の融合と同じような事が、私の頭の中で現代音楽と国際協力という2つの間で起こるのにはもう少し時間がかかりそうであるが、諦めずに考えて実現させていきたい。
そして頭のほんの片隅で、私が創った音楽で一人でも多くの人が
癒され、また、笑顔になれたらと、微かに思いを馳せている。

  1. 2012/11/06(火) 09:58:19|
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感じたことを3つ・・・ 神戸大学2回生 種石 光

僕がインドに行って感じたことを全て書くと、何枚紙があっても
足りないので、三点に絞って感想をまとめます。
 
一点目は、インド人はなんて楽観的なんだ!ということです。それはインドの道路での、車や歩行者の動きを見るだけでも分かります。車やトゥクトゥク(原動機付き三輪車)は、多少こすっても気にせず進もうとするし、歩行者は信号機のないところで(信号機自体がとても少ないのですが)車がなかなかのスピードで走ってくる前を、手を上げて飛び出して渡ります。
交通のあり方に留まらず、インド人の楽観主義さ、物事に対する我々から見るところの「ゆるさ」は随所に現れていました。しかしながら逆に、規制規制で、あらゆる行動を縛り付けている日本の社会のあり方は、本当に“インドの社会よりも高度なものなのか?”と疑問に思ったりもします。「日本社会には規制がある」「日本人が規制を求める」ということは、「なかった場合に不都合が起きる」と恐れているからであり、そういう意味では、日本では「人間は所詮、信頼関係といったものを根拠にして行動することは出来ない」と考えることが主流であるということになります。しかしインドでは、規制のないところで、ある程度相手を信頼しながら人々は生活していました。日本人が人間に対して、「規制がなければ危ないから仕方がない」と諦めた部分を、インド人は未だに大事に持っているということが出来ます。その意味で、日本社会の方がインド社会よりも進んでいると、果たして本当に言うことが出来るのでしょうか。むしろインド社会の方が、人間の理想のあり方に向かって、人間を訓練してくれるような環境なのではないかと思いました。
 
二点目は、幸せとは何だろうか?ということです。国際協力等に携わり、実際に現場に入って途上国の人々の生活や状況を“改善”するとなると、当然「どんな風に?」と考えるものだと思います。その際に考慮するのは当然、日本人が考える“幸せ”ではなくて、手を加えられる現地の人が考える“幸せ”である必要があります。そしてインドでは、長らくカースト制度がとられていたことと、その根拠として遥か昔からヒンドゥー教が存在することが影響して、自分たちの置かれている境遇に対して、「変えたい」という欲求が薄いように思います。そのような気持ちが、一点目で書いたような楽観主義と繋がってくるのだとも思います。
実際に一緒に遊んだ光の教室の、スラムに住んでいる子ども達は常に屈託のない笑顔で、背景にある、(我々の目から見るとそう思う、)生活の苦しさ、貧困さは全く感じませんでした。
それはつまり、「何か状況を変えてほしい」と彼らは望んでないということであると思います。
「カーストに起因する差別をなくしてくれ」「貧困の格差を是正してくれ」「もっと面白い娯楽をくれ」そんな欲求は感じませんでした。彼らにあるのは今のこの一瞬をどう生き抜くかということだけで、それがスラムに住む人たちに求められる唯一の考え方であるのだと思います。
望んでいない彼らの目を無理矢理外に向けて、自分たちの知らない“幸せ”の価値観を指差し、「あれに向かって頑張ろう」と彼らの背中を押すのは、キツイ言い方をすれば、「いい迷惑」であるのかもしれません。しかしながら僕は、先進国が自国の成長のためにないがしろにし、搾取してきた国の人たちには、何らかの保障は必要であり、どういう形でも賠償することが道理だと今でも思っています。スタディツアーを終えた今、「国際協力とはどうあるべきだろうか?」と、とても悩んでいます。
 
三点目は、光の音符の活動は、きっと子ども達に影響を与えているのだということです。
僕はツアーに参加する前は、光の音符が行っている、スラムの子供達に音楽やダンスを教えるという行為に本当に意味があるのか?と大分疑っていました。音楽やダンスを教える前と、教えた後との比較は、一度きりしか現場を見てない僕には不可能ですが、その効果はおそらく生徒それぞれの個人差として現れていたのだと僕は考えています。つまり、光の音符に通い始めて日の浅い子や、誰しもにある向き不向きの問題で、ダンスや音楽に関して吸収が遅いような子と、長い時間かけて取り組み、習得するまでに至った子を比べれば、おのずとダンス・音楽教育の効果は分かってくるという発想です。その点から子ども達を見ると、例えばある子は落ち着きがなく、歌の練習中、ダンスの練習中にも、ツアー参加者をつついて回ったり、なかなか練習の輪の中に入れてなかったりしました。かと思えば、ある子どもは、体を使ったゲームをするからと、皆で一列になる際に僕たちを並ばせてくれたり、スラムの中でも特別住人の警戒心が強い場所にさしかかったときに、「ここから先はカメラの撮影はやめとけ」と指示を出してくれたりしました。
そのような子ども達の一種の「自立心」の芽生えというものには、光の教室が少なからず、影響を与えているというふうに思います。  

以上が、僕がツアーに参加して感じた主な三点です。

  1. 2012/11/06(火) 09:57:30|
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インドでの実感 大阪大学1回生 木戸 千束

私は今回のインドの旅で、「実際に体験しなければわからない」という言葉を実感しました。実際にスラムで暮らす子ども達と触れ合い、スラムを見て、インドという国を見て、たくさんのことを知ることができました。
 一番強く感じたことは、貧しいから不幸、というわけではないということです。
私はスラムやスラムいる人たちに対して、とても怖いイメージを持っていました。しかし、スラムの子ども達や出会った人たちは、とても元気で明るく、私たちに対してもとても優しく接してくれました。確かに生活は貧しいものですが、自分たちは不幸だ、という意識は全く感じられませんでした。これは、彼らにとってこの生活が当然のことだからではないかと思います。
このように、私の中での貧困に対するイメージが変わったと同時に、支援の在り方についても考えの変化がありました。衛生状態の悪さから起こる病気に対しての支援や、さまざまなことに関する教育・知識の支援などは必要だと思いますが、物的支援について疑問を持つようになりました。一時しのぎの金銭の支援や物の支援は、彼らは教育支援などより喜ぶかもしれませんが、それは彼らが短期的な生活の考え方を持っているからだと思います。しかし、それでは、彼らは本当に自立することができません。支援とは一方的であってはいけません。長期的に見て、本当に必要な支援とは何か、ということを現地で実際に見て、感じることが大切だと実感しました。

光の音符の行っている、ダンスや音楽の教育は、正直とても難しいものだと思います。成果も見えにくく、数字で表せるものではありません。私自身この活動を初めて聞いたときは、正直、重要性が分りませんでした。しかし、実際に教室で楽しそうにダンスをしている子ども達を見て、また言葉は通じなくてもダンスを通じていろんな人と仲良くなることができて、この活動の必要性を強く感じました。インドに強く根づくカースト制度を超えて、子ども達が一緒に楽しくダンスする姿を見て本当に感動し、この活動に可能性を感じました。

この旅に参加して、とても元気で明るいスラムの子ども達や、インドの人々、そして、ツアー参加者や光の音符の人々と出会い、いろいろなことを知ることができました。
本当に参加してよかったです。

  1. 2012/11/06(火) 09:56:41|
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初めての海外、初めてのインド 神戸大学1回生 上之浦 孝樹

自分の知らない世界を見てみたい、そう思って参加したツアーでした。
初めての海外、初めてのスラム。少し不安もありましたが、参加を決め
た日からずっとわくわくしていました。インドに到着し、スラムに行って
みると、そんなわくわくに応え、不安も消し去るようにスラムの子ども達が最高の笑顔で迎えてくれました。その子ども達は、貧困という厳しい現実の中で生きているという事実を疑ってしまうくらい幸せそうで、一緒に遊んだり、ダンスをしたりすることを通して僕たちに幸せを与えてくれる力を持っていました。
インドで体感した格差社会や貧困、文化の違いなどの一つ一つは、自分の持っていた常識を打ち破り、深く考えさせられるようなものばかりでした。インドでの11日間は、僕の、普段の何気ない日々を、何年も凝縮したくらいの意義と充実感がありました。特に充実した11日間を過ごせたのは、ツアー参加者との出会いによるものが大きかったと思います。このツアーでは、インドの街の風景や子供たちの笑顔、スラムに対する認識など、一生忘れずにいたいと思えるものに出会えました。本当にいいツアーでした。

  1. 2012/11/06(火) 09:52:03|
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Are you happy? 大阪大学2回生 安田 大志

インド。それは人間の森。

木に触れないで森を抜けることができないように、
人に出会わずにインドを旅することはできない。

インドにはこういう喩えがある。
深い森を歩く人がいるとしよう。その人が、木々のざわめきを、小鳥の語らいを楽しく聞き、周りの自然に溶け込んだように自由に歩き回れば、
そこで幸福な1日を過ごすだろう。

だがその人が、例えば毒蛇に出会うことばかり恐れ、
歩きながら不安と憎しみの気持ちを周りにふりまけば、
それが蛇を刺激して呼びよせる結果になり、
まさに恐れていたように毒蛇にかまれることになる。  ― 地球の歩き方 インド より ―



今回のスタディツアーと、離団してからの一人旅を通じて、僕は、インドという森の歩き方を教わりました。インドでの旅を楽しめるかどうかは自分次第。この国は、自分自身を映す鏡でもありました。

「インドにいく。スラムにいく。」そう言うと、みんなに「気をつけろよ」「無事に帰ってこいよ」というようなことを言われました。スラムは本当に暗くて、危険な場所でしょうか。
少なくとも、僕らの訪れたスラムは明るくて、笑顔に満ち溢れていました。
僕らの不安をよそめに、教室の前でバスを降りた途端、一瞬で子どもたちに囲まれ、気づくと彼らと一緒に走り回っていました。彼らと過ごした5日間、彼らはもちろん、僕ら日本人も笑顔が絶えることはなかったように思います。

僕はダンスを始めて1年半も経っていませんが、ダンスによって人生が豊かになったと実感しています。ダンスはよく、コミュニケーションの手段の一つだといわれますが、ブライアンダンスアカデミーの人たちと一緒にダンスさせてもらって、そのことを改めて強く感じました。
全然聴いたこともない曲が流れようが、同じ曲でバトルしたとき、言葉以外で自分を表現できることの素晴らしさを実感しました。曲が鳴り止むまで、ほんとにPeaceな時間が流れていたように思います。しかしそれ以前に、体一つで自分を表現できることそれ自体の幸せが、僕は大きいと思います。音楽ひとつあればどこでだってダンスはできる。自分の感性で音を感じ、自分の体で自由に表現する、そしてそれが周りに評価されたなら、それほど楽しいことはないと思うのです。しかしそれには努力が必要で、そうした努力は、あの子たちの一番苦手なことの一つなのだとゆりさんが教えてくれました。
でも僕が今そうであるように、一度自分のダンスで拍手喝さいを浴びてしまったら、その幸せを覚えたなら、その努力はなんの苦でもなくなります。
確かに、カーストにすら属さずアンタッチャブルな存在とされ、スラムに住み続けるしかない子どもたちにとって、夢や、それに向かって頑張る努力は、もしかしたらただ空しいだけのものに感じるかもしれません。でも子どもたちが未来に、ささいなことでもいい、なにか希望がもてるなら、毎日が何倍も幸せになると思うのです。
それに彼らは天才です。ちょっと踊ってみせると、何も教えなくても見よう見まねでそれっぽいものを完成させてしまう。それに、子供たちはいい意味で目立ちたがり屋でした。自分をなんとかカッコよく見せようとする。これはダンスで一番大事な才能のひとつだと思います。
たとえダンスそのものが幸せだと感じられなくても、ダンスを通じてその幸せをみつけられたなら、何かに向かって努力する楽しさを感じてくれたなら。それが、この教室(事業)の目標である、「子どもたちの精神的自立」につながるのではないでしょうか。
教室の子ども達の姿を見ているうちに、またゆりさんやスーリアさん*たちの話を聞くうちに、この団体の活動は、子ども達にとっても、インドという森の「歩き方」を教えてくれるものなんじゃないかと僕には思えました。(*注:スーリアは「太陽」を意味するヒンディー語。田中秀弥君のインドでの愛称です)
現在のインドにおいて、彼らに対する差別がなくなることは難しいでしょう。
現状、彼らの未来は決して明るく拓けたものではないかもしれません。その中でも、子ども達が将来強く、今と同じ笑顔で暮らしていくための活動なんじゃないかと思います。
僕らが子供たちにしてあげられたことは、季節はずれのサンタクロースのようなものなのかなと思います。遠い国からプレゼントを持ってきて、すぐに帰っていってしまう。
でも、その短い間でも、みんなめいっぱい遊んで、触れ合って、子ども達も心から楽しんでいるように見えました。
僕らがこの一週間でしたことは実際そんなものなのかもしれません。でも、僕らは彼らに出会ってしまった。自分から何かすることはできなくても、一人一人がみんな、彼らのために、何か少しでもしてあげたいという気持ちを持ったんじゃないでしょうか。
ゆりさんがいて、光の音符があって、教室があって、子ども達たちが元気に成長してくれている限り、日本にいても、僕らは彼らの成長を見届けることができるし、
何かあれば、彼らのためにしてあげられることもある。そんなつながりが
インドと日本の間でもっと広がればと思うし、そんな場所を守っていく、
広げていく手伝いが少しでもできたらと思います。

離団してからの旅の中(注:9月18日、日本に帰る
ツアーメンバー達と別れ、大志君はインドでの一人旅を開始しました)でも、インドという森の美しさと、同時にその深さを目にしました。
光の音符のおかげで今回の旅は出会いに満ち溢れていました。一人旅をしていても、一人になることはほとんどなく、気づくといつも誰かが僕の隣にいました。
前回タイとその周辺国にいった時には、見知らぬ土地に対する不安で、警戒心むき出しで旅をしていました。話しかけてくる地元の人々とは目もあわせず、物乞いも無視して、自分と同じ旅人にだけ簡単に心を開いて旅を続けました。その旅の途中で僕は10万円を失いました。どこで誰に盗られたのかもわからず、ただその国とそこの人々のことがいっそうキライになって帰ってきました。
光の音符の人たちはそんな僕とは違いました。おみやげ物屋さんの前で僕らに寄ってきた子ども達に、嫌な顔ひとつせずにアイスをおごってあげて、一緒にアイスを食べながら、最後には子ども達と一緒にわけのわからない歌を歌いながら遊んでいました。子供たちもお金をせびり続けながらも、その変な日本人たちを楽しんでいたように見えました。
その国の人々と絡むことを必要以上に怖れてはいけない、お金を払うことを必要以上に固く考えることもない。お金をあげたければあげたらいいし、面白そうだと感じたら、その人と話してみればいいんだと思いました。しかもそれは、インド人だって少なからずそう考えているんだと思います。
“Are you happy?”インドではいろんな文脈で訊かれることがあります。
僕のカバンを何メートルか勝手に持って、へたくそな日本語を一言二言しゃべっただけでhappyか?ときいてくるやつもいれば、僕が明日暇だというと、昼飯とウイスキーを家から持ってきてくれて、「観光地はいらない、静かな所につれてってくれ」という僕のむちゃぶりに応えながら一日一緒にまわってくれて、最後に料金をきくと、“Are you happy?”とだけきくおじさんにも出会いました。そのときに、自分がhappyな分だけ払えばいいんだと気づきました。
お金を払った時のおじさんの反応をみるに、その時僕はけっこうな金額を払ったんだと思います。普段ならぼったくられたと悔しがってるところでしょうが、僕は “happy”でした。
別にインド人を美化するつもりはありません。実際、旅の中で寄ってくるインド人の多くは、僕からお金をとることしか考えていない人たちでした。しかしそれで、インド人は賤しい、がめつい、こすいとか決めつける考え方は好きじゃないです。
いろんな国を旅してきた人の多くは、あそこでぼったくられたとか、それくらいのことで、
「あそこの人は」って決めつける人が多い。でも僕がたった20日の間に出会ったインド人にも、もちろんうさんくさいインド人もいれば、気弱なインド人も、辛いのが苦手なインド人もいました。いい人、悪い人の基準は分らないけど、当然インドにもそのどちらもいます。どんな人に出会うかは自分の運。僕は運良く“いいインド人”にたくさん出会えました。また会いたいと思える人、また帰りたいと思える場所が、インドにはたくさんあります。
教室のシスターもよく僕にhappyかと訊きました。僕は子ども達のおかげでいつも迷わずhappyだと答えることができました。インドは僕にとって、もうただの暗い森ではありません。僕をhappyにしてくれた子ども達への恩返しに、彼らの成長を見守っていけたらと思います。
そしていつか成長した彼らに、同じように“Are you happy?”と訊いてみたいです。

  1. 2012/11/06(火) 09:48:07|
  2. 2012年9月ツアー感想文
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